ドモホルンリンクルと富山の薬売り

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ドモホルンリンクルと富山の薬売りとの関係

富山の薬売り

漢方医学とは?でもご説明しましたが、ドモホルンリンクルは漢方の理念に基づいてつくられている基礎化粧品です。

 

漢方とは、中国医学を基にして、日本で発展した伝統医学のことですが、日本の伝統医学と言うと『富山の薬売り』という言葉を思い出しますよね。

 

果たして、ドモホルンリンクルと富山の薬売りとの間には、何か関係があるのでしょうか?そもそも富山の薬売りとは何なのでしょう?解説します。

 

『富山の薬売り』とは

配置販売業

『富山の薬売り』とは、古くから富山県にある医薬品配置販売業の通称です。

 

配置販売業というのは、販売員が家庭や企業を訪問して、医薬品が入った薬箱を設置。次の訪問の時に、使用した分の代金を精算する仕組みです。

 

 

富山県で発展した日本独自の販売方法と言われますが、日本では、医薬品医療機器等法第25条第2号、第30条〜第33条にも規定されている由緒正しい販売方法です。

 

配置薬の種類はかぜ薬、胃腸薬、膏薬(こうやく)などのほか、近年では応急バンドテープやドリンク剤なども加わり、その配置品目は増えてきています。

 

富山県の前身である旧富山藩で、『富山の薬売り』が始まったのは17世紀初めのこととされています。

 

富山藩は、1639年に加賀藩から分藩して生まれましたが、多くの家臣や参勤交代・江戸幕府の委託事業、生産性の低い領地などの要因で財政難に苦しめられていました。

 

そこで富山藩は本家の加賀藩に依存しない経済基盤をつくるために産業を奨励したのですが、そのひとつに製薬(売薬商法)があったのです。

 

もちろんこの時期に製造販売していたのは、漢方の薬です。17世紀を通じて、製薬事業・売薬事業は発展し、18世紀には『富山の薬売り』は富山藩の一大産業となりました。

 

『富山の薬売り』は日本全国に知れ渡ることになったのです。

 

『富山の薬売り』と熊本の関係

熊本城

ドモホルンリンクルの製造元である再春館製薬所は熊本が発祥の地ですが、『富山の薬売り』と熊本には、意外に深い関係があったんです。

 

『富山の薬売り』が他藩へ行商を行った最初は、寛永年間(1624〜1643)肥後の国への行商であると伝えられています。(出典:嘉永元年の熊本の財津九十郎の手紙)

 

肥後の国とは、すなわち現在の熊本県です。

 

『富山の薬売り』は、肥後の国への展開を足掛かりに、前から豊後・筑後に、さらに肥後にも行商を広げ、元禄時代には中国地方にも拡大。さらには仙台など、東北地方にも広がっていきました。

 

こうした『富山の薬売り』の広がりは、富山を代表する製薬会社『広貫堂』が編纂した、『富山売薬沿革概要』に詳しく記述されています。

 

『富山の薬売り』が、最初に外と接触を持ったのが、肥後の国(熊本)というのは、何か不思議な縁を感じますね。

 

現在につながる不思議な縁

再春館製薬所は、昭和7年の設立ですから、『富山の薬売り』と直接の関係は無いかも知れませんが、江戸時代から続く富山藩との関係が、熊本の製薬事業にも影響を与えていたのかも知れませんね。

 

ちなみに、『富山の薬売り』が広めた配置販売業は、今では、一般社団法人「全国配置薬協会」という業界団体を作って、配置員の教育・啓蒙活動などを行っています。

 

一般社団法人「全国配置薬協会」の協会構成員には、熊本県の熊本県製薬協会も含まれています。この熊本県製薬協会の監事を務めているのは、再春館製薬所だったりするんですよ。

 

ドモホルンリンクルと富山の薬売りとの関係は、現在にもつながる不思議な縁を感じますね。

 

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